日常を綴る記録

食、旅、読書、イギリスが大好き。たまに、美味しいイギリス料理や紅茶、お菓子、カルチャーについて語っています。

家庭での教育と学校教育の狭間。

楽しかったイギリス帰省を終え、夏休みも終わり(yes!!)、2学期スタート。

 

さて今日のお題。タイトル通りの、

「家庭教育と学校教育の狭間」です。

 

我が家には4月で中学生になった12歳の息子がいます。

思春期という難しい時期をどう乗り越えるのか、という話題が同じ中学生の子を持つ親御さんたちとよく上がるのですが、その中でも性教育についてはあまり語られないことについて以前からとっても不思議に思っていました。

 

ちなみに我が家では、息子が6年生のときに、父親である夫からきちんと話しをしてもらいました。そのうえで、私からも

「どういったことが、暴力になったり、悲しみを生むのか。」

(いわゆる、暴力なき性、ですね。)

といった話しを常々しています。性についてかなりオープンに話しはしているほうではないか、と自分では思っています。(世の中の家庭事情を把握しているわけではないので、あくまでも自分基準ですが。)

 

で、話を戻します。

 

 

つい先日の話です。

あえて詳細はここには書きませんが、息子の通う学校の教師による、性差別ととられる発言があったことが分かりました。そしてそれは思春期のアンバランスな子どもへの言葉でした。

 

私はまず冷静になるべく、信頼する友人や相談窓口に助言を求め、そして、ひと晩じっくり考えてみました。(話をきいてくれた友人に心から感謝!)

 

そして、考えた結果、やはりこの件に関しては、いち親として人として声を上げるべき事案だと思い、(言葉を箇条書きにしてまとめてから)学校側にその旨を伝えました。

 

(ちなみに、こういった発信をしていると、意見ばかりしているとよく思われがちなのですが、(笑)私も保護者のひとりとして慎重に言葉とアクションは選びますし、「変わったお母さん」レッテルを貼られないように(すでに貼られているかもしれないけど)なんて常に考えてるんです。誰だってモンスターなんとか、という言葉に怯えているんですよ。)

 

性教育にしてもそうですが、

子どもたちが自らのセクシャリティについて、不安や疑問を抱えることなく語れる場。

それって家庭の中でもいい。学校の中でもいい。社会の中でもいいと思っています。

学校で語れないのであれば、家庭の中で。

家庭でも語れないのであれば、コミュニティで。

(まあ、本当であれば家庭でも教育現場でも、どこでも、がいいんでしょうけど)

本当はそうあるべき、というか、もっと語られてもいいはずのトピックがタブーとされている現状を感じています。特に、今回の件で、先生が安易に発言したことが物語っているように、教育の現場でもタブー視されているんだな、と。

 

ちなみにイギリス・スコットランドでは、LGBTI問題の授業が義務化される方針が、昨年発表されています。

www.huffingtonpost.jp

 

「包括的性教育

もっともっと、大人の私たちが踏み込んでいくべき課題と現状があります。