なぜ読むのか、を綴ってみる。
よく友人・知人から聞かれる本にまつわる質問が、
「どうやったら面白い本に出会えるか」
だったりします。
これってすごく難しくて、例えば私が感銘を受けた本がその相手には響かないこともザラにあるし、読了後眠れないくらい感動して興奮した本でも、相手は途中で読むのを止めたというパターンもよくあります。
もちろん、これ面白かったよ!と勧められた本がイマイチだったりということは私にもあります。
だからよっぽど相手の好みを知ってないと、難しい。
結局のところ自分の好きだ!に出会うまでは、とりあえず周りから勧められた本だったりを読んでいくしかないんだと思います。
さて、実は次に多い質問は
「なぜ、読むのか?」
だったりします。
すごくザックリとした質問だなと最初は思いましたが、昔フルマラソンに毎年挑戦する知人に同じ質問をしたことがあることを思い出しました。
「キツイ苦しいその先に何があるんですか?」
という意図で聞いたと記憶してますが、その方はこうおっしゃいました。
「これはゴールを経験しないと分からないです」
そう、まさにこれかと思います。
もちろん私にとって読書は娯楽として楽しむツールであることには違いないんですが、私は毎回図書館や本屋に行くたびに毎回、まだ私の知らない世界がこれほどあるんだと圧倒されます。
手に取った本の中に、例えば自分を肯定できる一文を見つけたら。例えば葛藤の中にいる時、背中を押してくれる言葉と出会えたら。例えば、自分の言葉にできなかった気持ちをそのまま表現してくれる作家に出会えたら。例えば海外文学を通じてちょっと異文化に触れられたら。
その瞬間を一度でも経験すると、最初と2番目の質問の答えが見つかるのではと思います。
とカッコいいことを書いてみたけど、読書の醍醐味はどこにいてもどんな時でも自分のペースで始められて、終わることができる、1番手っ取り早いエンターテイメントなんだということを言っておきます。